病む者は汝一人ならざるを知れ by内村鑑三

 昨日の続き④

 明治中期の頃、京都の聾唖者の手話が京都式手話、東京の手話が東京式手話として発展してきました。特に全国各地から東京の聾唖学校に入学した聾唖者は卒業して故郷に帰り、聾唖の仲間に手話を教え広めました。それで東京式手話使用の地域が広くなっていきました。明治33年大阪に盲唖学校ができてから大阪式手話が生まれ、近畿、四国、中国地方から入る聾唖者が卒業後自分の土地に帰って大阪式手話を広めました。大正に入って各県に聾唖学校が続々と建立され、それぞれの土地に方言的手話が生まれてきました。