kobatada2004-09-09

 自分の生き方さえ求めたら、現在の暮らしよう、生き方は必ずある by大佛次郎

 昨日続き③

 外国の聾唖者の手話を初めて見た日本人は、1863年文久3年)英国へ密航した長州藩の山尾庸三でした。グラスゴー造船所に勤めている聾唖者の手話を見て奇妙に思い、「あの男は何者か?」と所長に聞いた。「彼は生まれつき耳が聞こえないので、聾唖学校で教育を受けて、今、大変まじめに勤めている。手を使って会話している。あれは聾唖者の言葉、つまり手話です。しかも同じ仲間と結婚して子供を育て幸せな家庭を持つ立派な人です。」との説明を聞いた山尾庸三は驚嘆して、日本にも早く聾唖学校を作らなければ・・・と痛感しました。帰国して薩摩・長州連合軍に加わって徳川幕府を攻め、新しい明治政府を建て、1871年明治4年)盲唖教育施設を建てる建白書を新政府にだして、明治12年の東京の築地に「東京訓盲院」を建てました。