仕事のなかの曖昧な不安を読んで

 とても感銘を受けた本だった。説明に豊富なデータを用いているため、マスメディアによる一方的な情報提供よりも説得的だった。今まで誤解を抱いていたパラサイトシングルに対する見方や高い失業率の様々な理由などが特に納得させられた。そして、この本の中で取り上げられている、「働く」ことに対する不安は、ハッキリとした不安と曖昧な不安の2つがある。ハッキリした不安とは、不良債権処理による大量失業、労働力人口の減少、国際競争の激化、IT革命のような技術進歩の脅威などだ。一方、職場に広がる曖昧な不安の根底にあるのは、仕事格差の拡大である。仕事内容の違いが明確にされないまま、負担の大きい人とそうでない人の格差が拡大している。
 去年履修した英語コミュニケーションの授業で「将来に不安を抱えている人は?」という質問をされ全員が手を挙げた。この授業の参加者は経済学科よりも国際経済学科の生徒が多く、自分よりも1つ下の1年生たちはみな、アメリカに留学の経験がある人ばかりだった。そのため、もう少し前向きな発言があると偏見を抱いていたが違った。彼らも生身の人間、そして不安を抱える普通の学生の一人なんだと改めて認識させられた。唯一手を挙げなかった、このバカはこんな発言をした。「不安がないといえば嘘になる。しかし、今を充実して生きていくことが人には必要だ。人は誰しも明日のことを考えながら、今を生きている。ただそれでは必ずしも今を充実して生きていることにはならない。今このときを精一杯生きることが、今を充実して生きることであり、その生き方は明日にもつながる。そして未来に対する明確な目標に向けがんばることは今の充実につながる。だから将来に対して大きな不安はない。」などというようなことをたどたどしい英語で発言した記憶がある。
 この考えはある本からきている。もうその本の作者や題名は忘れてしまったが、「人は誰でも将来のことを考えながら生きている。小学校に入れば中学校のことを、中学校に入れば高校入試のことを、高校に入れば大学入試のことを、大学に入れば就職のことを、職につけば未来の出世を、そして老後のことを…など将来のことを考えながら生きている。しかし人が充実した人生を生きるにはこれではだめで、今を充実して生きるべきである。充実した人生とは今を一生懸命に生きることである。」というような趣旨のことが書いてあった。
 しかしこの本が読み終わった後、国語の先生がこんなことを言っていた。「僕もこの本の意見には賛成だ。しかし今を生きるために将来のことを考えるのは当然である。なにか明確な目標があるからこそ今をがんばれるのであり、充実して生きられるのである。もしそうでなければ受験生がかわいそうだ。」というような話をしていた。
 僕の考えは、この2つの折衷案みたいなものである。俗にいう良いとこ取りである。なぜなら僕は欲張りだからである。この考えは今も変わっていない。