手話⑥

 明治時代から聾唖者の言葉である手話はひどく卑下されたり嘲笑されたりしていました。その頃の聾唖者が街頭で手話をすれば周囲の通行人にじろじろと変な目つきで見られていました。食堂に入っても一番奥の席でこそこそと手話の会話をしていました。大正の終わりから昭和の始めの頃、全国の聾唖学校は手話が卑しいと考え、口話法がろう児ための最高に良い方法と判断してこれまで行ってきた手話法を止め、口話法に切り替えました。その頃の学校では手話使用が大変厳しく禁止され、ろう児が手話をすると、平手打ちされたり廊下に立たされたりしていました。